撮れたて通信3月号

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目まぐるしく天候が変わりますね。

これを抜ければ本格的春の到来となるのでしょうか。

今回は意識的に天候不順の日を狙って彷徨ってきました。

それでも撮影を終えた頃は快晴です。^^//

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撮れたて通信 Mar. 2019

改元が近づいてきました。平成の30年間は局地戦こそ

あれ日本および世界はおしなべて平和な時代だったよう

に思います。一方で地震、水害、噴火といった自然災害

は多い時代でしたね。昭和生まれのオジサンは生まれる

以前のことは話や本、メディアを通してしか知りません

が、同じ30年間に人類は2度も世界大戦を経験している

んですね。「昭和」の元号に込められた”国民の平和およ

び世界各国の共存繁栄を願う”は歴史の皮肉とでもいうの

でしょうか。戦後生まれのオジサンにとっての昭和は軍

靴の音が響くこともなく、それこそ戦後復興の真只中で

人々が目を輝かして生きていた時代のように思えます。

尤も行き着くとこえろは泡盛(バブル)でしたが。それだけ

に昭和ということば、雰囲気が体に沁み込んでいる

みたいですね。^^;;

2019/03/04

寺町 家明

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《追記》 戦争に関する記念碑や遺跡なるものは全国いたるところに

あるのでしょうが、先の通信で触れた家の裏手にある護国神社も

その名の通りの一つです。ここには大戦で亡くなった1万余の英霊

が合祀されています。また境内には陸軍空挺落下傘部隊発祥地の

記念碑も建っています。写真の給水塔はその空挺落下傘部隊が

あった処の戦争遺跡です。オジサンは通学路でもあり、物心ついた

時から眺めてきたこともあって、川南=給水塔のイメージの方が強い

くらいです。ここは戦後すぐに国立療養所ができ主に結核病棟が

立ち並んでいました(兵舎を利用したもの?)。そのほか看護学校も

あったようです。今それらは殆ど取り払われ、機構改革後の国立病

院があるだけです。 戦後代用教員をしていた母の話によれば、受け

持っていた生徒が休み時間に戦中の信管のついた銃弾で遊んで

いるところそれが暴発して手首を失った子供がいたという。またオジ

サンが小学5~6年生頃だったと記憶してますが、20センチくらいの

砲弾を持ってきて皆に見せていた強者もいましたね。また近くの土手

なんかで遊んでいるとよく馬のものと思しき骨がたくさん出てきたりし

ていましたね。多分軍馬でしょう。小・中学生頃はまだまだ戦争の

爪痕を背負った時代だったようです。

StartFragment附録:帰路ウグイス(♀)に出会いましたよ~。(^o^)//EndFragment

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