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55年ぶりの高鍋町散策!前半の部

令和4年11月13日に高鍋高校創立100周年記念事業における記念式典、OB祭及び祝賀会に大澤会長と共に参加して来ました。


その様子は前回の記事にて報告いたしましたが、今回は約3時間の空き時間を利用して四季亭からスタートし、

四季亭でゴールするというコースを昭和43年卒業以来初めて散策してまいりました(小川 修)



まずスタートはお堀です。

お堀のそばに古い校舎がありました。なんとこの学校は高鍋農業高校でした。もっと山の中にあると思っていましたが、高鍋城址の直下、藩校明倫堂の跡地に建っていました。創立120周年との事です。古い伝統を持つ由緒ある農業高校です。びっくりしました!

お堀を両側に従えた中央通路を通ってキャンパスに入ります。   


全国的にも高鍋農高は名門として君臨しているそうです。


藩校明倫堂跡の石碑です。



創立者の像です。戦時中供出させられ、一時は木造だったものを、有志の方々の寄付で元のように鋳造で復元されたそうです。



高鍋農業高校も100周年記念時には伝統を讃え、未来へのはばたきを祈念しています。

高鍋高校も良き伝統に感謝し、次の発展を誓い 、「黎明」という言葉を力強く揮毫されていましたね。


次は高鍋美術館です。前から行こうと思いながら場所が分からず行けなかった場所です。

高鍋農高のグラウンドの方に向かっていると高鍋美術館の案内板が目につきました。

ここにあったんだと教えられ、いざ出陣となりました。


同級生の中で美術部出身といえば田中等くん、安井雄一郎くん、宮本哲くんを思い出します。

田中、安井両名は高鍋美術館の館長を務められていました。宮本氏は東京でK高校の教師をしながら絵を描き、その絵を銀座で

個展として展示していたので、同級生と見に行ったことがあります。

安井くん、宮本くんは今頃、元気にされているだろうかと懐かしく思い出されます。



高鍋美術館の正面玄関エントランスです。土曜日の16時過ぎていたので、入場しませんでした。

次回の楽しみにとっておきます!


右が上杉鷹山公、左が秋月種茂公の像です。

                                           

石井十次先生の「帰国途上の所感」の碑です

鶴が舞っているようなむくりのある屋根が特徴です。

鶴が翼を拡げ、舞っているように感じられます。

舞鶴公園、舞鶴城など舞鶴という名前にふさわしく鶴が舞っているような外観の美術館です。

何故、舞鶴かというと城堀,三の丸等の石垣上部に白い築地塀がめぐらされており、堀に沿って作られている白い築地塀の様子が、

まるで鶴が舞っているように見えたので、高鍋城を舞鶴城と呼ぶようになったとの事でした。

私が在学していた名古屋の大学正門前に鶴舞公園があります。

そこには鶴を連想させる建物はありませんでしたので、高鍋の舞鶴とは何の繋がりもなさそうです。

この建物は宇田津元校長先生の実弟の方が設計されたそうです。

前半はここまでとします!











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