top of page

55年ぶりに高鍋町を散策!後半の部

令和4年11月13日に高鍋高校創立100周年記念事業における記念式典、OB祭及び祝賀会が挙行されましたので、

在京同窓会を代表して大澤会長とともに参加して来ました。

合間の時間を利用して高鍋町を55年ぶりに散策した様子を前回お知らせしましたが、今回はその続きです。

後半の部は舞鶴をイメージする高鍋町美術館からのスタートです (小川 修)


県内の城址でも珍しく、創建時の江戸時代初期のままで保存されている城堀で、石垣も残っています。

鯉も泳いでいて癒されますね。お茶屋から撮影しました。


この後、高鍋農高のグラウンドを横目に見ながら舞鶴公園の方へ向かいます。

グラウンド側に建てられていた案内看板です。城堀の由来が説明されています。農高周辺は緑地公園になっているのですね。


高鍋農業高校と大手門、明倫堂跡、美術館、お堀、三の丸、二の丸、舞鶴公園の位置が良く分かります。

ここで前半の部で添付していない写真を追加しておきます。

高鍋農高の構内及び玄関ホールに設置されていた貴重な展示品です。


明倫堂址の石碑

秋月種樹公の「興学」の扁額

高鍋農高初代校長齋藤角太郎先生の像

石井十次先生のことば




グラウンドを通り過ぎて、舞鶴公園へと歩を進めます。

高鍋城の説明がありますが、とても城址まで登って行く体力・気力はありません。

看板を読むだけで良しとしましょう。

高鍋城を舞鶴城と呼ぶのは、城堀の内側土手の上に巡らせていた白い築地塀の様子が鶴が舞っているように見えたことから

名付けられた呼称だそうです。

藩政時代の高鍋城の絵図です。城堀が今の位置と同じで一部は埋め立てされ、面積としては縮小しています。

秋月藩にとって現在の高鍋農高の敷地がいかに重要な位置を占めていたかよく分かる絵図です。


舞鶴神社です。

私だけの勝手なお願いで恐縮ですが、私の終活が実り多い人生になりますよう祈願してまいりました。

近くに歴史民俗資料館も見えましたが、今回はパスします。


次に前面道路に沿って町の中心部に向かいます。

東京支部での同窓会に多くの協賛品をいただいた黒木本店ですが、敷地が広くてびっくりです。

まさか酒造所がここにあるとは思いませんでした。公園にもなって一般に開放されていました。


併設された酒造所です


一般に開放されている公園と酒造倉庫です






そして喫茶店「エルザ」に立ち寄り、100周年記念事業に協賛されていました女性オーナー様とお話しし、

焙煎珈琲を一人で堪能してまいりました。最後は城堀のカモに迎えられてのゴールです。


お堀の左側に見えている建物は高鍋農高の温室や農場です。


以上で高鍋町の散策終了です。


最後までお付き合い頂き、有難うございます!



 

Comments


特集記事
タグ検索
ソーシャル
  • Facebook Classic
  • Twitter Classic
  • Google Classic
bottom of page